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雨の記憶 [続東京向日葵日記]

メモリアル・ゲームはまたも雨に見舞われた。覚えているかな、あのブラジル人選手の「最後の試合」に付き合わせたことを。覚えていない、雨合羽を着た母から正直な答えが返ってきた。そんなものだよな、彼女は(相変わらず物静かに横へ座る彼女の夫も)選手より孫に会うためにスタジアムへ来てくれる。

あの日もひどい土砂降りだった。屋根がないバックスタンドに両親を座らせたまま、僕は王様のゴールに絶叫し、熱狂した。15年前の柏・日立台、まだ孫が生まれる前の出来事。そういえば両親は、何を目的にあの誘いを受けてくれたのだろう。変わらぬアマラオの姿を目で追いながら考えて、ほどなく止めた。

雨に濡れながらの試合観戦、さぞ辛いに違いない。それでも笑顔を保ち、どこまでも温和な母(ついでに父)。果たして自分はこの先、どれだけ優しさを維持できるだろうか。そもそも維持するだけの優しさを持ち合わせているだろうか。浮き沈む自己肯定感、降ったり止んだりを繰り返すこの日の雨のように。

親としての在り方とは。単純なことほど問いかけるのが難しい。親から子へ受け継がれるもの、語り継がれるとき。雨足が再び強くなった17時、特別な日を祝す金色のユニフォームを身に纏った選手たちと、彼らに手を引かれた子供たちが入場してくる。母は、ますます慈愛に満ちた視線をその方角へと向けた。


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